【寄稿】稲葉俊郎さんによる「ひとつひとつの流れ」

1.16

ひとつひとつの流れ

 

 

静かな川を見ると、なぜ心が安らぐのだろう。おそらく、川は常に流れているからだ。

川を見て、すこしだけ眼をつぶる、そして目をあける。目の前には同じ川があるように見える。ただ、そこにある水の一つ一つの粒子はひとつ残らず入れ替わっている。川としては同じように見えても、 水滴はすでに流されていて、もうそこにはいない。全体に焦点を当てると変わっていないが、部分に 焦点を当てると変わっている。ひとつぶひとつぶの水粒子は怒涛のように入れ替わり続け、川という 全体を維持している。

わたしたちの生命も同じようなものだ。体全体は変わっていないように見えても、体のすべての細胞 は入れ替わり続けている。心全体は変わっていないように見えても、心のすべてのわだかまりは、欲 望や葛藤や不安やかなしみや喜びや楽しさは、入れ替わり続けている。川の流れを見ているだけで、 そうしたことが体や心の奥底から呼びさまされているのだろう。内的自然と外的自然とは呼応している。生命は四十億年近く前に海の中から生まれ、その生命記憶を誰もが受け継いでいるのだから、生 命には水との共生の歴史が深く刻印されている。

水の粒子がつながったり離れたりしながら、池や川、滝や海、雨や空、そうした水の全体像を形成し ている。今この瞬間にも、わたしたちの生命の中に水は流れ続けている。水は循環し流れ続けていないと、生命の全体像を保つことができないのだ。

東京では川の流れをみることが少なくなった。都市は、水の流れが地下水として隠されているからだ。ただ、水の流れは思いがけないところで表に立ち現れては視界から消えていき、無意識を活性化させている。

隅田川をぼんやりと見てみる。川全体の流れを見て、一粒一粒の水滴の流れを見る。川は静かでも、 怒涛のように水の粒は流れ続けている。川の視点から東京や地球を見てみる。水の視点から自分や生 命を見てみる。そして、また隅田川を見ている自分に戻ってみる。

 

この一滴一滴の水は、果たしてどこからやってきたのだろう。

 

山梨、埼玉、長野の境界である甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)(甲州=甲斐国、武州=武蔵国、信州=信濃国) に落ちた一滴の水は、秩父山域の水滴をひとつひとつ丁寧に集め、「荒川」と呼ばれる流れになる。「荒川」は、東京と埼玉を合わせて 20 区 40 市 18 町 1 村にまたがりながら流れ続け、東京都北区の岩淵水門から小さい分流をつくり、「隅田川」と呼ばれる流れになる。隅田川の水滴はやっと海へと流れつき、地球の水と合流して一つになる。隅田川の源流である「荒川」は、名前に刻まれている通り過去 幾度となく荒れ狂い、多くの水害を起こした。ただ、同時にその川こそが豊富な水を運び、人々の生命を養い、東京という都市の生命をも支えてきた。

徳川家康が江戸へとやってきたとき、生命を奪うこともあるが同時に生命を養う水を一人一人に適切 に届けるため、利根川東遷・荒川西遷という大事業を行った。つまり、一つに合流していた利根川と 荒川とを上流で二手に分け、利根川を銚子の鹿島灘へ導き(東遷)、荒川のみを東京湾へと導いた(西遷)。人々の力で川の流れを変えたことで、人々と江戸という街の生命を守った。ちなみに、日本最大の流 域面積を誇る東遷された利根川も、新潟と群馬の境界にある大水上山(おおみなかみやま)に降り注いだ一滴の水滴から始まり、大河となる。 荒川の分流である「隅田川」は、東京の無意識と化した水脈の歴史を静かに語り続けながら、今も流れ続けている。

わたしたちは一粒一粒の水の流れに耳を傾けているだろうか。 川の流れは、そうした小さい水滴という部分の集合からできている。生命という全体が部分の集合からできているように。空から山へと降り注いだ水滴は、都市や人体やあらゆる生命を貫いて地球の海として合流する。海の水は太陽のエネ ルギーで空へと移動し、空中で全体としてつながりながら、天と地とを循環し続けている。そのすべての営みは、分けることができない巨大な流れだ。

 

『隅田川怒涛』という祭りの場が設定されることで、人々は声を出し、叫び、笑うことができる。そして人々は音楽を奏で、怒涛のように溢れ出す生命と深い関係を結びなおすことができる。川が流れ続け変化し続けることで川であり続けるように、心も体も生命も、流れ続け変化し続けることで、生命 は生命であり続けることができるのだ。

 

2020年1月16日

稲葉俊郎